今日は少し重い内容です。
子育てのヒントでも、人間関係のヒントでもありません。
ただただ僕が衝撃を受けて、
ものすごく考えさせられたことです。
最後まで読んでいただけなくても大丈夫です。
ある年の6年生の子。
「生きていなくてもいいんじゃないか」
ふとした時、そう話した彼女。
両親は不倫をし、仲悪い。
子どもは自分一人しかいないから、
兄弟に相談もできない。
夜、家にいても両親は喧嘩ばっかりで面白くないから
部屋で隠れるように携帯ばっか触っている。
でも、バレると怒られる。
嘘ついてやらないといけないことをやり忘れると怒られる。
叩かれる、
蹴られる、
グーパンチされる。
心が満たされていないないから、軽微なリストカットをしたこともあった。
小学生で。
今日は、この時のことを鮮明に思い出した。
突然どうしたのかって?
今日たまたまこんな記事を見つけたんです。
「家族再統合」に向けた流れ
というもの。
簡単に説明すると、
家庭で養育することが困難な事情があり、
子どもを児童支援を行う施設へ預けられます。
そこで育てられた子どもはいずれは家庭復帰をしていくことが理想的。
その際、どんなことに注意を払いながら家族再統合を進めていくのかというものです。
たまたま見つけた記事は次の通りです。
その働きかけは、
家族の歴史や事情を把握し、
子どもが生まれてから(場合によっては生まれる前から)今の自分までの繋がりを感じられるようにするために欠かせません。
そして、
この「生まれてから(場合によっては生まれる前から)今の自分までの繋がり」は人生の確かさを与えてくれます。
この確かさは子どもが「真実を認識すること」を助けるでしょう、
結果として家族再統合が成らなくても。
つまり、家族の再統合が困難な事例(家庭復帰が困難な子ども)であっても、
家族再統合の試みは重要であり、
それを通して「肯定的な自己イメージを持つことができるよう支援する」ことが家族再統合の本質的な目的だろうと思います。
私は、
壮絶な体験をした子ども(家庭復帰が難しいほどの親)であるほど、
子どもが「肯定的な自己イメージが持つこと」は大変困難であり、
子どもの一生をかけても達成できるとは言えないと考えています。
「子孫を残さないことや、自ら死を選ぶことが、この連鎖を止める唯一の手段」と思えるような事例も、やはりあります。
しかし、そのような現実を体験している子どもたちの傍に居続けることが私たちの仕事だろうと思うのです。
死に瀕している人(=床)がいて、その人と面する(=臨む)から「臨床」なのです。
子どもたちは、もしかしたら「生きているのが死ぬよりも苦しい」ような現実を生きています。
僕はこの記事を読んで、こういう世界があること、全然知らなかった。
教員を約20年してきたけど、全然知らなかった。
そういうことかと過去の記憶が蘇ってもきた。
実際にそいういう子が、教員時代隣のクラスにいた。
いつも不安定で、異様な存在感があった。
そもそも隣のクラスにいたのは、家族再統合で家族が再び機能していく初期の段階での転入であった。
当時二年生。
今思うと、
この記事を読んで、
2年生ながら、
両親に何があり、
どういう経緯で施設で育ったのか、
また、
なぜ家族が再び家族として出発しているのか全て知っていたのだろうか。
きっと知っていたんだろうな。
そういう支援が必要だと
「社会的養護関係施設における親子関係再構築支援ガイドライン」
に示されているから。
まだ8歳で。
生まれてからたった8年しか生きていないのに・・・
その子がどう言った理由で施設に入っていたか詳しくは知らない。
僕がもし同じ立場なら耐えうることができるのだろうか。
その子の心はどうなったいたのか、
この記事を読んで想像するだけで、
何の言葉も出ない。
これまでの生い立ちの全てを知ったことで、
もし「自分なんて生きていない方がいいのでは?」と思い、
自死を選ぶとしたら?
以下、記事の続き
親が子どもを愛さなかった、大切にしてくれなかった、一緒にいることができない人だったという現実は、変えようがないものです。
それを受け容れること、そして親のことを「諦める」ことはとても苦しいことです。
しかし、それを「明らめ」、つまりその真実を認識することで、ようやく先に進むことができるのだと思います。
つまり知らせることは、
その子が先に進むことができるようにするための支援の一つであるということか。
本当にそれが支援と言えるのかは、
まだまだ時間をかけて考えていかないと、
僕の中では考えがまとまらない。
転校してきた当時2年生だったあの子が卒業してから時間が経つが、
今あの子はどうしているんだろうか?
なんだかとっても愛おしく感じてしまう。
最初に書いたある年の6年生の事例もそう。
あの子は、いまどんな生活をしているんだろう。
とっても素直で、みんなを楽しませることができる特別な力を持っていた。
お笑い係で、よくネタを披露していた。
体育館の舞台を使った発表を圧巻だった。
と同時に、自分にはそういう子を支えていくことができるのだろうか?
考えるより、やってみて考えたい。
それしか、答えは分からないはずだから。
少しでも多くの子の力になりたい。
いろんな子たちがいることを知った。
いろんな家庭があることも知った。
いろんな思いを持っている子もいることを知った。
教員生活は全てが新しい学びだった。
当然だが、僕の当たり前は、気になるあの子の当たり前では全くなかった。
だから本当に色々考えさせられ、もがき、苦しんだ。
でもそのおかげで、僕はここまで成長させてもらった。
改めて教員をやって良かったと思う。
だからこそ、これからは子どもたちの力になれるように、もっともっと学びを深め、
大好きな子どもたちと関わって生きていきたい。
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