二学期の初日、行けた。あの日は本当にうれしかった。それなのに三日目から、また布団から出てこない——。この時期にいちばん多く届く相談です。先に結論をお伝えします。それは失敗ではありません。現場では、むしろそちらのほうが多数派です。
元小学校教員として15年、いまは公認心理師・スクールカウンセラーとして学校現場にいます。二学期の初日に来られた子を何人も見送り、そのあとどうなったかも見てきました。この記事ではまた休んだときの構え方・行けた日の褒め方・親と担任で違う声のかけ方をまとめます。なお私の現場は小学校です。中学・高校は事情が変わる部分があります。
また休むのは失敗ではありません。むしろ、そちらが多数派です
初日は来られたのに、その後の一〜二週間でまた行けなくなる子はいるか。います。むしろ、そのパターンがほとんどです。これは統計ではなく、現場にいる人間の体感です。でも体感だからこそ正直にお伝えしたい。初日に来られた子がそのまま毎日通えるようになるほうが、実は珍しいのです。
構えは「またどうせ行けなくなる。行けたらラッキー」でちょうどいい
親御さんが大きなショックを受けるのは、まさにここです。期待を裏切られた感じがするから。行けなかった日々より、行けた日のあとに休んだほうがつらい。当たり前の感覚で、弱いからではありません。
ただ、その落差が翌日をさらに重くします。ショックを減らすいちばん確実な方法は、期待の置き場所を先に下げておくことです。身も蓋もない言い方ですが、「このままいけるかも」と前のめりになるより、「またどうせ行けなくなる。行けたらラッキー」くらいの心持ちのほうが、結果的に気持ちは楽です。
諦めではありません。行けた日を「成功」、休んだ日を「失敗」と数え始めると、二学期は失敗の記録だらけになります。その採点表を、そもそも持たなければいい。
続く子と失速する子。分かれ目は「行けた日の褒め方」
続いていく子と失速していく子で、いちばん大きく違ったのは行けた日に大人がどう反応したかでした。
褒めすぎると、行けない日の自分が責められる
「えらいね」「よく行けたね」。うれしくてつい出てしまう言葉です。ただ、これを重ねると子どもの中に静かにルールができます。——行けたら褒められる。ということは、行けない自分は褒められない。
教育の世界では、こうした「大人が意図していないのに子どもが受け取ってしまう裏のメッセージ」をヒドゥンカリキュラム(隠れたカリキュラム)と呼びます。褒めるつもりが、行けない日の自分を否定する物差しを家に一本立ててしまう。子どもはもともと休んでいることに罪悪感を持っています。そこに「行けた日だけ喜ばれる」が加わると、次に休んだ日、家の中にも居場所がなくなります。
褒める的を、結果から「気持ち」へずらす
| つい言ってしまう言葉 | 言い換え | 子どもが受け取るもの |
|---|---|---|
| 行けてえらいね | 行ってみようと思えたんだね | 気持ちのほうを見てもらえた |
| 明日も行けるね | 明日のことは、明日の朝に決めよう | 今日で完結していい |
| この調子でがんばろう | しんどかったら、また家でできることをしよう | 戻る場所がある |
| やっと行けたね | 今日はどんな感じだった? | 評価ではなく関心 |
ひとことでまとめるなら、「がんばろうとした気持ちを認める。無理は禁物。しんどかったら、また家でできることをしていこう」。地味に見えますが、このスタンスがある家の子は、休んだ日に家で崩れません。
期待は担任に言ってもらう。親は言わないほうがいい
同じ「明日も待ってるよ」でも、言う人によって効き方がまるで違います。ここは、ほかであまり書かれていない話だと思います。
なぜ、親だけは言わないほうがいいのか
担任の「待ってるよ」は外側からの誘いです。行かなくても、家に帰れば終わります。ところが親の「明日も行けるね」は帰る場所そのものから出てくる期待で、逃げ場がありません。同じ言葉でも、家の中で言われるほうが何倍も重いのです。
親御さんの役割は、期待を伝えることではありません。期待から降りていい場所であり続けることです。期待の担当は、外の大人に渡してかまいません。
担任にそのまま伝えていい頼み方
| 家の状況 | 担任に伝える言葉 |
|---|---|
| 担任と子どもの関係が良い | 「先生から声をかけてもらえると励みになるようです。無理のない範囲でお願いします」 |
| 関係が微妙・子どもが身構えている | 「今は『明日も待ってる』は控えていただけると助かります。来た日にふつうに迎えていただくだけで十分です」 |
| また休みが続き始めた | 「今週は家で過ごす形にします。連絡は続けたいので、こちらから週明けにご連絡します」 |
初日に行けた子は、どんな形で来ていたか
「行けた」の形はひとつではありません。現場で見てきた入り方は、学年でかなりはっきり分かれます。
- 高学年——気合いを入れて、一人で登校してくる。前の晩からの決意がにじんでいる子が多い
- 低学年・中学年——親御さんと一緒に来校する。玄関まで、あるいは教室の前まで付き添う形
どちらが良い・悪いではなく、年齢に合った入り方があるだけです。高学年の子に付き添おうとすると嫌がられ、低学年の子を一人で行かせようとすると足が止まります。学年に素直に合わせてください。
そして、遅刻して行く、保健室や相談室から始める、友達と待ち合わせて入る、荷物だけ置きに行く——どれも、りっぱに「行けた」です。教室に入れたかどうかで採点しないでください。別室からの再開は別室登校・保健室登校は何から始める?にまとめています。
行けた日と休んだ日が混ざる二週間、家ですること
この時期にやることは多くありません。三つだけです。
- 翌日の予定を、前の晩に決めない。毎晩「明日どうする?」と聞かれるのは、子どもにとって毎晩の判決です。朝、起きてから決めれば足ります
- 行けた日も休んだ日も、家の流れを変えない。特別なごほうびも、特別な落胆もいりません。「これまで通り過ごしている」家の子は、いちばん安定が早いです
- 休んだ日にやったことを、ひとことメモしておく。ドリルを2ページ、動画で歴史を見た、料理を手伝った。何でも構いません
三つめには、もうひとつ役割があります。家で学習した記録は、学校に「出席扱い」として認めてもらう相談の材料になります。行ける日と行けない日が混ざる時期こそ、記録が効いてきます。制度の中身と担任への切り出し方は不登校でも「出席扱い」になる文科省の制度で説明しています。
ここから先は休ませてください——体に出ているサイン
ひとつだけ、はっきりお伝えします。夏休み中に元気だった姿が、その子の本来の姿です。学校のある日の重たい姿だけを見て「うちの子はこういう子だ」と判断しないでください。そして、体に異変が出ているのに無理に行かせるのは大きな負担になります。次のことが二週間以上続いているときは、登校の話をいったん止めて専門家に相談してください。
- 朝、布団から起き上がれない
- 夜中に何度も目が覚める
- 食欲が落ちている
- 以前は楽しめていたことを、楽しめない
相談先は、学校のスクールカウンセラー、自治体の教育相談窓口、小児科や児童精神科です。親御さんが一人で抱え込まないことが、結局その子のためになります。親の不安は、子どもの罪悪感を上から強くするからです。親御さん自身の休み方は不登校の親のセルフケアにまとめました。
まとめ
- 初日に行けた子がそのあとまた休む——現場の体感では、そちらが多数派。失敗ではありません
- 構えは「またどうせ行けなくなる。行けたらラッキー」くらいでちょうどいい
- 行けた日は褒めすぎない。褒める的を、結果(行けた)から行こうとした気持ちへずらす
- 期待を言う役は担任に渡す(関係が良ければ)。親は、期待から降りていい場所であり続ける
- 「行けた」の形は一つではない。遅刻・保健室・付き添い・荷物だけ、全部カウントしていい
- 体の異変が二週間以上続くときは、登校の話をいったん止めて相談を
今日できる一歩は、これだけです。今晩、「明日どうする?」と聞くのをやめてみてください。それだけで、その子の夜が少し静かになります。行けた日が一日でもあったなら、「行ってみよう」と思える力はその子の中にたしかにあります。休んだ日に、それが消えるわけではありません。次に動き出すときのために、そのままそこにあります。











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